Vol.13

 「〜その13〜」

 渡された練習課題に目を通し、一通り読んでみると、課題の設計条件には、近隣の設定がされている敷地想定図があり、その中には都市計画地域内に関わる諸条件と道路の幅員や方位、敷地の高低差、上下水道等の関連が記載されている。

建物の関係では、構造と階数に加え、延べ面積の制限が設けてあり、必要とされる各目的別用途の室の数に、それぞれの室の面積が決められている。

目的別用途の室の関係では、その室を何階に配置しなければならないとか、ある室とある室とは隣接しなければならないとか、又は近接させろとか、二室を造り一室として使用可能にするなどの要求が盛り込まれていて、外構の関係では、駐車場の台数や駐輪場の位置、樹木の植栽などの諸条件が要求されている。

 製図の試験とは、これら文字で記載された条件の全てを建築基準法違反とならないように纏め上げて、定められた時間内に要求された図面を書き上げなければならない。

早速エスキース(構想を練り下書きする)を始めるが、何をどうまとめて良いか・・・なかなか上手く纏まらない。

課題を読んでも、大したことには思えなかったが、何度考えても纏まらない・・・結局午前十時から取り掛かり、午後四時までの六時間ほど考えたが、エスキース用紙には僅かの鉛筆の線しかなかった。

 設計事務所に勤務し始めて、まだ十ヶ月足らずである私の設計能力は皆無に等しかったということである。自分でも解ってはいたけれども、これほどなのか・・・と思い知らされた日であった。

二級建築士の製図試験では矩計図を書く練習をしただけで合格したけれども、一級建築士製図試験の練習課題に手も足も出ず、全く歯が立たないのだ。

強い衝撃を受けた私は「これはえらいこっちゃ!こんなんじゃあ〜とても合格など出来るわけがない」と思ったけれども「いや、まだ時間はある」と思えることが、まだ何とかなるかも知れないと思える唯一の救いだったが、この日はとても寝付きが悪かった。

 翌日の日曜日になっても気は重く、気落ちした気持ちを引きずりながら大学に行った。昨日と同じ練習課題に取り組んだが、やはり上手く纏まらない。

他の人のエスキース用紙を覗いてみたら、私と同じように書けてない者もいるし、結構進んでいるように見える者もいるが、一番出来てないのは私だった。

先生は私たちが練習課題に取り組んでいる間ずっと傍で見ていてくれているわけではなく、時折製図教室に顔を出す程度だったが、この日は私のそばに来て「どうだ、川田、出来んだろう」と自信たっぷりに言う。

「はい、全く手が出ません」と返事をすると「まあ、最初はそんなもんよ」と言うので「そうですか・・・」と力なく答えると「まあ、そのうち書けるようになるから・・・」と言い、他の人のところに行って話を始めた。

はあ〜と気落ちしたまま、課題が纏められないのは一体何が足らないのか?何がいけないのか?と思いながら、この日も何も出来ず終わったが、以前先生から電話を貰い「製図に試験だけは一人でやってもダメだ」と言われた言葉を思い出し、本当にその通りだと納得した。

 翌日会社に行くと皆が講習の様子を聞いてくるので、練習課題の用紙を取り出し、ため息混じりに「これなんですけど、全く出来ませんでした・・・」と言いながら課題の用紙を見せると、最年長の所員がそれを取って目を通し始めた。 

そして、何やら助言をくれるので、「そうですか・・・」と頷いてはみるものの、その意味すらよく判らなかったが、「こういうのは、まず基準階から計画して・・・」と言った言葉が心に引っかかった。

基準階(三階以上の建物の中で同じ平面構成を繰り返す階のこと)?この言葉を聞くのも初めてだったが、何となくだがその言葉の意味することが解り、何やらそこに突破口があるのではないか・・・の予感がした。

また、大学の先輩で一級建築士を持っている所員も心配してくれ、自分の体験談を交えた色々な助言をしてくれる。

そんな中、仕事中に課題をやるわけにもゆかないので、何をしていたかというと、大学に行けない平日は昼食時を使い二級建築士の製図試験の時と同じように矩計図を書く練習をしていた。

まだ課題のエスキースも纏め上げられないのに、それを通勤の電車の中でも雑用紙を使ってフリーハンドで書き続けた。

同じ矩計図でも二級建築士は木造だったが、一級建築士は鉄筋コンクリートである。基礎に柱や梁など構造の仕組は大きく違い、当然だが図面で表現する納まりに、それぞれの下地や仕上げの名称も全く違う。

それ故にまだ書けなかった私は、兎に角、いずれ製図の試験を受けるのだから、この矩計図は必ず書けるようにしておかなければならない、それなら練習は早い内からやっておいても無駄にはならんだろう・・・考えて書く練習を続けた。
 次の土日が来て大学に通い、また課題に取り組んでみるが、今度は基準階というヒントがあつたので、その基準階から考え始めると何となくだが、先に進むことが出来るようになってきたのだ。

練習用のエスキース用紙が少し鉛筆で黒く埋まり、何とか平面計画らしきものが出来上がってきたし、段々と顔見知りになっきた他の人のエスキースも見せて貰い、それも参考にしながらその考え方を盗み、自分の考えを纏めていった。

そして数週間が経った頃、事務所の仕事が急に忙しくなり大学に通うことが出来なくなった。

事務所の先輩達は「川田君、遠慮しないで良いから学校にいけよ!」と言ってくれたのだが、私の気持ちはその方向には動かず、土日も出勤して事務所で仕事を手伝った。

しかし、試験前の最後の土曜日と日曜日だけは休ませて貰って大学に行き、新しい課題を貰ってやってみたけれども、五時間半の時間内に書き上げ、完成させることは出来なかった。

また、大学で練習していた同窓生の先輩の誰かから「先生にはお世話になったのだから、なにもしないというわけにはゆかないと思うので、みんな一万円出しでどうだろう・・・」と提案があったので、全員が賛成してお礼に替えさせて貰った。

 既に故人となられたけれども、この先生は本当に学生や卒業生の面倒をよく見ておられたのだ、広島近辺に就職した卒業生達は先生を囲む会を作り、年に一度だが集まって会食会を開いていたくらいだ。いつも数十名の出席者がいたから相当に人気があったことを覗わせる。

残念なことがだ、いまはこのように心から学生の面倒をみている先生を知らない。

 さて、いよいよ一週間後の日曜日は一級建築士製図の試験日である。不安を胸に抱きながら挑むことになるのだが・・・。
                                       続きは後日